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この地域は、旧石器、縄文、弥生の時代から人々が住み(山居台遺跡)、その当時から栄えていたようです。
戦国時代には、益子氏の下城である山本古屋城があり高塩伊勢を城主に戦国時代に生きた武将たちのロマンを感じることができます。大郷戸には、その当時の益子氏の墓と思われる五輪の塔群があり、この地域が今も昔もどんなに住みやすい所かを、これら史跡やたおやかな山々・丘・小川などの風景が物語っているように思えます。史跡としては残っていないのですが、親鸞聖人も二宮町の高田(専修寺)より笠間の稲田(西念寺)を結ぶ道としてこの地を何度も通ったと思われます。
河童伝説が残る妙伝寺には、親鸞直筆と伝えられる三方正面の如来像があります。このお寺には、雅楽も今も受け継がれています。
ふれあいの郷には、この雅楽とともに多くの伝統芸能が今も残っています。

11月に行われる太々神楽、2台の屋台とともに伝承されているお囃子(7月下旬)、松本地区に残る歌舞伎舞台は、からくり襖の舞台(2〜3年に一度開催)など、そのような伝承文化を大事に守っている素朴な山郷です。
そんなこの地域の農業は、
タバコの栽培が盛んに行われてきました。
平成元年の頃より、リンゴ・ぶどう・梅・プラム・ブルーベリー・ナシ・いちごなどの果樹の植栽が増え、今ではおいしい果実が収穫されています。
水田は、昔から水不足に悩まされていましたが、昭和62年に大郷戸ダムができ、水不足も解消し、ダム湖からの清らかな水による米作りができるようになりました。 大郷戸ダムの水は本当にありがたく、きれいです。ダムの上流には川があるわけでなく、山々からの沢水が少しずつ流れ込んでいるからです。このダム周辺の自然もすばらしく、休みの日にはたくさんの人が訪れ、バーベキューやキャンプを楽しんでいます。
今、この地域ではお米・煙草・いちご、ナス等の園芸作物・果樹・豚や酪農の畜産など多様な農業が営なわれ、若い就農者も増え活力ある姿になりつつあります。
これから、ふれあいの郷の役割も一段と増すことでしょう。
それでは、もう少しふれあいの郷の成り立ちの道のりをお話ししたいと思います。
やはり平成元年あたりからでしょうか、ひとりのバカな男から始まりました。
彼は、平成元年『村づくり塾』を発足。
農業の活性化を目的として、メンバーは農業従事者を中心に構成し活動を始めました。
翌年、もっと幅を広げる為にメンバーを商店やサラリーマン、大工さん、町長、カメラマンなどが参加。名称を『ひやくしよう塾』と改めました。
『ひやくしよう塾』とは、飛躍しようという安易なダジャレ、そして一つの町とは百の姓から成り立っている、つまりいろいろな職業の人たちが支えあいながら町を構成している。そこからあらゆる角度の意見を取り入れ、町を活気あるものに、そして農業を活気あるものにを目指し活動が始まりました。(百姓の語源・・・むかし農業従事者は、百のいろいろなことができた。農業は本来そんな総合文化の結晶だった・・)
彼・広田茂十郎さんは、自分のことをさておき、とにかく地域のためになんの苦労も背負って立つ、バカでデレスケな素敵な夢追い人です。
そんな彼と仲間たちは、夜は酒を囲い夢を語らい、そして輪は広がりました・・・
他地域との交流(岩手県安家ほか)、山林の掃除・保全、自然・農業に関わる勉強会、山菜名人による山菜採りと料理などなど・・・そんな中から、またバカでデレスケなカメラマン内藤が、あんべ光俊を紹介。
そのことが、音楽と自然や農業・食・文化(神楽やお囃子)・陶芸などを全部取り入れた『ましこ水と森の収穫祭』(まみも収穫祭)へと発展、開催していくこととなりました。
1994年秋に開催が実現し、以後4年間開催されました。そんな中で、改めて農業団体である『山本元気村』も発足。山本・大郷戸地域はより活気あるものになっていきました。
1999年からはワークショップを開催。宇都宮大学藤本教授を迎え、多角的に山本・大郷戸地域をあらためて検証。住民も積極的に参加し自分の住む地域について語り合い、模索していきました。
ワークショップとは、どんな意見でも全部聞きそして取り入れ、それを統計(学問の力を借りて)にすることによって、その地域の長所・短所・将来性などを浮き彫りにしていき、みんなの目に見える形にしていくというもの。
その活動は、2年にも及んびました。そんな活動のひとつひとつが積み重なり、『ふれあいの郷』に、一つたどり着いた大事な体験となったことは確かでしょう。
その2年の終了後、こんどは2001年より3年の月日をかけて『ふれあいの郷』の環境整備のための具体的な取り組みが行なわれました。
まず、文化の保全と整備、途絶えていた歌舞伎舞台の復元、拠点になる「山郷のめぐみ」の建設、そして将来を見据えてのホームページの開設などなど・・ そうやって『ふれあいの郷』は2004年、やっとスタートラインに立ちました。
ここ『ふれあいの郷』には、彼・広田茂十郎だけでなく、たくさんのバカでデレスケさんがたくさんいます。いろんな勉強会や研修先で聞きました「おもしろいところには必ずバカがいる」。
これからは、みなさんとともに、この郷をおおらかに育て創りあげていこうと思います。多くの参加をお待ちしています。末永くよろしくお願いいたします。
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